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自信家くまさんのお家

あーあ はちみつをとりにいかなきゃ

甘いはずなのに辛い蜜



以前、私を私はどこに連れて行こうとしているのだろうといった話をしました。

私が思っている以上に、周りは私を心配してくれている

その事を、今日仕事場で1番に仲のいい先輩に教えてもらいました。

何故自分は周りのみんなの様に仕事を任せてくれないのだろう、そうやって引っかかっては前に進めない私に、先輩は言ったのです。

周囲は貴女を心配してるから、これ以上負担をかけない様に仕事を調節して渡している。でも貴女は、がんこだから、それを見て、どうして私だけ、なんで信頼されていないのか、と考えてしまう。

なんて悪循環。

それを聞いてあぁ、確かに。納得してしまった。どうしようもない負のループ、そのスタートを作ってしまったのは誰でもない、私だったのだ。

腕に傷なんか作って、あからさまに周りを困惑の海に沈めて、そのくせ私は怖がりだから、浅瀬で薄ぼんやりと周りを見ながらようようと過ごしていたのだ。

真相にせまられないように。だがしかし真相なんて開けて仕舞えば何もないただの心の問題だけなのだけど。

もしも、もっと自分を周りが頼ってほしいと思うのなら、そんな風に隠すべきところは隠さなければいけないのだと知った。それでこと大人なのだと。

公私混同は、私が1番に嫌いなことだった。しかし気付けばそれをしてしまっている自分がいたのだ!

なんて愚かで馬鹿馬鹿しいのでしょう


自分に、やさしく、してあげたい

でもどうやって接してやったらいいのかわからない。

感情を取り戻したい、毎日泣くぐらい感傷的で馬鹿な子でいても、そらは私らしさの1つだったのかもしれない。以前の私はそれはマイナスの要素でしかないと思っていたのだけれど。

素直に泣いて、素直に笑って

普通に生きていくことが、少しのきっかけでここまねひどくなるなんて思いもよらなかった。




無地の下のどす黒い何か


社畜のように働き続けていました

人の目が気になって気になって、頑張っていないわたしは人間として生きている価値はないのだと、そういう風にして仕事をしていたつもりでした。

果たして手に入れたものは何でしょうか?


答えは、手のひらの中。開いてみたら憎しみやらどす黒い、どろどろとした嫉妬という名前の感情でしたとさ。


今わたしは何も抱えていません

なんの仕事ももっていません

やるべき事はある程度片付けて
それなのになぜこんなにどす黒い気持ちが増えていくのでしょうか

わたしは、きっと、問題だと思っていた事柄さえ完結すれば、素晴らしい人間になれると思っていたのに

みんなと同じように、キラキラした世界の中で、悩みながら成長していくっていう夢見たいな人らしい人になれると思っていたのに

自分の中で自慢であった少しだけ白い腕。右手は仕事で傷ついて、跡が残って汚いものであったけれど、左手は何もない綺麗な手だったの。

なのに今では隠さないといけない

切り傷だらけ、着替えるのにも苦労する。気付けば二の腕、太もも、血だらけ

やってしまったあとにやってくる罪悪感。気付いてほしい、なんて厚かましく思ってしまう。でも気づかれたら失望させてしまう。 


痛いイタイいたい

痛いのは切った腕じゃない

どこが痛いのかわからない

わたしは私でいたいのに、どうやってここまできていたのかわからない、


私を私はどこに連れて行こうとしているのかしら。



漏れた蜜には毒があった




自傷、なんてよくできるなぁ、なんて考えていた時期があった。

それは見下すような感情ではなくて、痛々しい生傷の写真を見るたびに悲しくて、羨ましいと思ってしまうから。

自分にはできないこと

痛いものは嫌い、針が怖い

なのに今ではひたすら腕を切りつけて、血を見て、安心している自分がいる。その安心の中には、自分みたいなクソ野郎を傷付けてやったぞっていう正義感、悲しい想いを吐き出せないことに気付いてほしい焦燥感、分かりやすい感情表現、わたしの歳にしては若すぎる拙い表出に、笑われるのではないかという羞恥心。

そんな、ぐるぐるした想いを抱えてそれでも前を見て仕事をして、普通の人の振りをしていかなければならないだなんて。

でも、それでも、バレたらいいのに、と考えていた。それでも良いから気付いてくれと。

でも現実はあまりにも予想とは違うものだった。

母からは  当てつけか、  と怒鳴られた

同僚からは 隠せ、 と言われた


わたしは寂しくないわたしは淋しくないわたしは悲しくなんてない

石を飲み込んだ話

 

 

喉の奥に、飲み込めない塊が詰まっています。

 

いつもは何の障がいもなく苦も無く普通に息をしていられるのに、最近は、ううん、割と少し前から詰まるような苦しさを感じる時がある。

 

よくあるツイッターやらなんやらで、発表される話。今まで仲が良くも悪くもなかった子が、仲が良かった友達と付き合ったなんていうよくある話。

 

この間までお互い何でもないっていっていたじゃない。

 

別にその友達が好きだったわけじゃない。そんな次元ではなくて、言っていたこととしていることが全く違うじゃないってこと。

 

でも、結局それは他人事なんだから、見なければいいはずなのに、気付けば私はその繋がりを見てひとりで吐いている。人間だからこその嫉妬。何と醜いものでしょう。でもそれにとらわれて私は前すら碌に見ることが出来ないのです。

 

どんどんどんどん、ひとりになっていく気がする。

 

両親とも、友達とも違う絆が、うらやましくて、輝かしくて、

 

簡単には手に入れられないものだからこそ、もってない者からすると掛け替えのないような光に見えるものなんです。特に、こんなに一人を寂しがっている私なんかからしたら。バカみたいな薄汚い自慢ですら美味しそうな、苦々しい蜜に思えるのです。

 

でも、はっと下を向いて、横を向いて鏡を見ると、本当の自分自身が映っているのです

 

現状なんて、闇に近いほど汚い沼にはまっているのです。都合のいい女なんていう、どうしようもないものに。それさえ気づかなければきっと輝かしかったはずなのに、知っている上でそうなってしまった私はきっと救いようがないものなのです。

 

どうやったって、将来を一緒に歩みたいと思っていたって手に入れられない。だからこそ、そんな相手を手に入れられた身近な相手に汚い感情を向けてしまうのでしょう。

 

あぁ、汚い。

がしゃがしゃ、ぱりん。



人の心が移ろうのって本当に早いですよね。この間傷ついてたと思ってたら。もう止血してて、何事も無かったかのように消してしまう。

そんなものなの?
そんなもののために私は心を砕いているの?

昨日、好きだった人にフラれたら
明日、別の人を好きになるんだよ

それって、そんなものなの?
それでいいの?


でも、私が一番に怖いのは、それでさえいいと感じるくらいに他人の体温を欲していることかもしれない。

支えてほしい
今が一番しんどいからこそ

たすけてほしい



外に助けを求めることはもはや罪に近いのではないですか

外の目に晒されながら、弱い自分をさらけ出して撫でられて、きっとだらしなく笑ってしまうんだ。なんて恥さらし、でも今はそんな恥さらしになりたい。



いつだって巣が壊れる時が



今日は買い物に出かけた。
普段は仕事場とお家との往復で、それ以外は外に出るなんておっくうでたまらない。

簡単にいったら引きこもり。
布団に根っこが生えたみたいにそこから動かないことがなんと幸せなことか。

外に出る。私は女。ということは、
外に出るという事は、まずお化粧をして、髪を整えて、ある程度の服装に着替えて、なんならストッキングなんてはいちゃって、

それでやっと家の玄関を潜れるのです。

そんな面倒くさい手順を経てでも買い物に行かなければいけない理由は1つ。
お家に食べ物がないのだ。
時間は20時。ぎりぎり近くのショッピングセンターがあいている時間。

それでなんで家に食べ物がないのか、何故、そんな時間に買い物に行かなければならないのか。

私は実家で暮らしている。両親ともに健在。二人ともいいとしで、年金をもらって、障害のある兄と私とで暮らしている。それでもってなんともありきたりな設定なのだけど、借金があって、毎月の支払いで全てお金が飛んでいく。手元に残るものは何もなくて、むしろマイナス。もう出せるものはないのに請求のハガキは何通も、催促の電話は鳴り止まない。

電話も止まったから、正確にはなりやんだのだけれど

暗いくらい、自己中心的な考えの私といったら、私の使うお金ないじゃないってくらい給料をお家に献上してる。使うお金がないのにさらにお金が必要だからカードを使う。そのカードの請求が、続いていく。これがリアルな自転車創業なのかしら。

話が逸れてしまったのだけど、そんなこんなで両親には食べ物を買うお金がない。渡していた生活費もすでに切れていたのだ。給料日の贅沢なんてそんなものはできないけれど、最低限の食材を確保するために、買い物にでたのだ。夜中に。

それで、今日感じたこと。

ひとりで買い物していて、それまで値段も気にせずに買っていたものを、1つ1つ値段を気にして吟味してカゴに入れていく。

そんな私の隣で、私みたく太った女の子が、両親と思われる人らに近づきカゴにどさどさ物を入れるのだ。両親はそれを気にもせずに歩いていく。その横にその子も従ってついていく。

まるで昔の私だった。

それまでは、これまでは、欲しいものは何でも買ってもらっていた。パソコンやら、ゲーム器やら、服やら。父は何も語らない人で、母にはカードしか渡してないから基本カード払い。買い物だって、みんなで適当に食材をいれて、そんな生活だった。裕福、だったように思えていた。少なくとも父が働いていた時までは。

凄く泣きたくなった

あの女の子の位置に、自分は居たのに
笑って、何も知らずに過ごせていたのに

今では毎日をぎりぎりで生きて
急にみすぼらしくなった。

あとどれだけたったら、裕福でなくても、普通の、他の人と変わらない、お金の心配をしないで済むのか

死にそうな顔のお母さんと
やっぱり何も語らない父さん

シーソーゲーム。どっちに何かがかかってもすぐに崩れてしまう

一瞬なんだ。
いつだって、巣が壊れるのは

知らなかったことが幸せなのか、
知ってしまったことこそ幸いか
知らずにいたらどうなってたのか

涙こそ、もうでないけど
まだまだ私は終わりなく正解を探すのだ。


なんてありきたりな。

はちみつをつくりましょう



はちみつを作るには。

まず蜂を捕まえてこなければならない。雄と雌、関して雌は女王でなければならない。


無限はちみつ搾取を目指す我々としては、この番いが、どのような困難が起きようともつがい愛、営みを持ち、清潔に、健やかに愛とはちみつを創造していかなければならない。



これは義務であります。



そんな空難しいことを書いたふりして馬鹿みたいな事をしているけれど、簡単に言ってしまったら愛する人同士が結ばれたら、後は熊にでも蜂にでも、はちみつにだってなれるものなんだよ。


よくわらかんね。わからんのは私の方か愛の方か。


ここ数十年と、はちみつを作るために、蜜蜂を必死に探してきました。

とても性格の良い、人として向上心があり、頼りになる、そんな蜜蜂を見るたびに素敵だなぁと感じます。でもその時点で結果なんか分かってるのです。その他大勢の何番目も後にその人に出逢ってしまった今で、どうしてその人を好きと言えようか!


答えは簡単。そんな人には、私が出会い着く前に良き逢瀬があり、縁は繋がり、出逢った瞬間私の勝ち目はとっくにないのでございます。


それでも好きと言ってしまえば浮気。こんなにも重厚な愛の前で浮つくとされるだなんて辛抱できないもの。だから必死に足に紐をかけて絆すの。それに手を出しては駄目だと。目を向けては駄目だと。羨ましいと思った時点でこちらの負けは確定したのだ。


はちみつを、作る過程が大切なのか。それとも出来上がる瞬間に出会うことができないことが不運であるのか。