漏れた蜜には毒があった
自傷、なんてよくできるなぁ、なんて考えていた時期があった。
それは見下すような感情ではなくて、痛々しい生傷の写真を見るたびに悲しくて、羨ましいと思ってしまうから。
自分にはできないこと
痛いものは嫌い、針が怖い
なのに今ではひたすら腕を切りつけて、血を見て、安心している自分がいる。その安心の中には、自分みたいなクソ野郎を傷付けてやったぞっていう正義感、悲しい想いを吐き出せないことに気付いてほしい焦燥感、分かりやすい感情表現、わたしの歳にしては若すぎる拙い表出に、笑われるのではないかという羞恥心。
そんな、ぐるぐるした想いを抱えてそれでも前を見て仕事をして、普通の人の振りをしていかなければならないだなんて。
でも、それでも、バレたらいいのに、と考えていた。それでも良いから気付いてくれと。
でも現実はあまりにも予想とは違うものだった。
母からは 当てつけか、 と怒鳴られた
同僚からは 隠せ、 と言われた
わたしは寂しくないわたしは淋しくないわたしは悲しくなんてない